灘を語ろう




登 録


  1. Subject:
    Sender:akita@st.rim.or.jp (Akita,shigekazu) 1996/10/07 02:02:56

    灘に関する会議室としてオープンさせていただきます
    ご質問やお知らせなど、「」に関する話題を書き込んでください
    タグを埋め込んで各サイトへのリンクも自由です...
    但し、リンクのタグには target="_top" のオプションをお使いください
  2. Subject:澤の井
    Sender:kiraku@warap.or.jp (海野 拓司) 1996/10/09 15:26:49

    (沢の井)についての記述が武庫郡誌にありました。

    御影字十ケ坪にあり。神功皇后三韓を征し給ひし時、摂津国の葺屋の浜辺より、遠征
    の御船を出せ給えり。
    やがて凱旋御参拝の節、御化粧の水を召さ<せ給ひしに、神社の辺に清き泉あり、御影
    いとも鮮やかに映せりと言ふ。是御影の地<名の因つて出たる起源なりと言ふ。
    後いつの頃よりか此霊泉を澤の井と申し、里人の呑むに任せたるに今を距る五百八十
    年の昔、天皇深く御嘉納あらせ給ひしとぞ。
    斯くも叡誉を与りしを栄として、遂に嘉納<を以って氏族の名となせりと、是実に現今
    菊正宗の醸造元なる嘉納治郎右衛門の家なりき今も尚澤の井の水は四時絶ゆることな
    く、滾々として湧き出づる清冽の水は千古に涸れざる色あり。

    とあります。今の阪神御影駅の南に古い井戸があり、その西200mに弓弦羽神社の
    御旅があります。だんじりでいうと井戸がある地区を弓場、御旅の地区を中之町とい
    いまして、中之町のだんじりの後ろ幕には上記の神話になっています。

  3. Subject:RE>澤の井
    Sender:akita@st.rim.or.jp (秋田 成和) 1996/10/09 20:47:28

    海野さん、いつも有り難うございます
    六百年も昔に、澤の井の記述が行われていたのですね。嘉納という名字にこの様な
    由来があったとは驚きです。いにしえの昔(笑)、この灘とはどの様な地域だった
    のでしょうか。阪神御影の900m西には処女(おとめ)塚古墳もありますし...

    #海野さんのホームページにおじゃまさせて頂きました
    #表紙に見えるのが、だんじりのの屋根下の正面
    #酒造りの彫刻(松尾さん)ですね (^^)
  4. Subject:澤の井文章追加と宮水の山邑(武庫郡誌)
    Sender:kiraku@warp.or.jp (海野 拓司) 1996/10/09 22:28:40

    すみません! 武庫郡誌の澤の井で一番大事な記述
    が抜けましたm(__)m
    ・・・
    後いつの頃よりか此霊泉を澤の井と申し、里人の呑
    むに任せたるに今を距る五百八十年の昔、後醍醐天
    皇の御字、此澤の井の水を汲みて美酒を醸し、之を
    献せしに、天皇深く御嘉納あらせ給ひしとぞ。
    ・・・・・
    というように、澤の井の水で酒を造って
    献上したという肝心なところがぬけました。

    山邑太郎左衛門の記述もありました。
    (宮水効用発見について)
    方今銘酒を以って著名なる桜正宗本舗の元祖なり。
    若くして当村雀部市郎の為に醸造の業を管掌し、後
    遂に魚崎・西宮に酒造を購入し、盛に醸造を営み、
    一意酒質の改善を企画し、苦心焦慮の末、天保年間
    に至りて、原料米及原料水に関する改良を大成せり。
    往時原料米は、玄米を僅に春きたるものを用ひしに
    て、其得たる清酒は赤色を帯び、粘着力を有せるも
    のなりしが、天保四年試みに極精白米を以って仕込
    みたるに、果然其成績頗る佳良なりき。即ち色澤・
    香味淡白にして粘り気なき醇酒を得たり。
    是に於い之を模倣するもの次第に増加し、一般の酒
    質為に一變するに至れり。次いで原料水の研究をな
    し、西宮井水の酒造に適良なりを確信し、天保11
    年遂に之を用ひて試醸せしに、又會て見ざる良酒を
    得たり、一般酒造家も之に倣ひて原料水を西宮に仰
    ぐに至る。初氏が西宮より車両を持って盛に原料水
    を運搬するや、人皆之を嘲笑し、甚しきは狂人を以
    って目する程なりきと、・・・・・
    此二大改良は、灘五郷をして天下の名醸地たらしめ
    しのみならず斯界に一新起源を制せしものと伝ふ可
    きなり。

    む・む・・ 字が読めん^^;


  5. Subject:一合升の記念品
    Sender:kiraku@warp.or.jp (海野 拓司) 1996/10/11 10:48:23




    この灘の地域では記念になる祭やだんじりを新調・改修など 終えたときには必ず鏡ひらき(鏡わり)を行います。 最近
    はあまり皆さんが飲まれないので樽は8割ぐらい上げ底にし ています(といっても神戸まつりの区民まつりでは人数が大
    勢なので、そのままです)。 そして、そのまま木づちでた たくとなかなかふたが割れないので、あらかじめふたを割っ
    てとっておき、またふたを閉めて戻す作業が必要です。 そ して、木づちで割る役員さん達に軽く叩くように言ってやっ
    てください。そうしないと、酒が大事な服にかかります(笑) そして記念品として、1合升がもらえます。それには、何の
    記念かちゃんと焼き印をしています。記念品のキーホルダー のようなもののかわりです。しかし、木の香りのしたお酒は
    本当に美味しいですね。 酒の弱い私でも飲んでしまいま す(笑)








  6. Subject:神話でのお酒の話の始まり
    Sender:kiraku@warp.or.jp (海野 拓司) 1996/10/12 18:29:25

    すみません、本来は灘酒に関する会議室ですが、私の趣味のだんじ
    りを調べていくと、神様→酒というように関連ついてきました。

     現在この地の神様は、江戸後期から大正にかけての八幡、八坂信
    仰の影響で氏神さまが変わってきています。私の地区は昔は松尾さ
    ん(大山咋之命)でしたが、大正時代に八坂講を組み、八坂神社(
    祭神:素盞鳴命)となっています。 しかしながら、灘地方の各総
    社(村より大きい地域割り)では、必ず松尾さんの末社があります。

    素盞鳴(すさのう)は、オロチ退治などで勇猛な神で好まれたのです
    が、一方ではオロチに酒を飲ますという場面があり、神話では一番有
    名な酒にまつわるお話です。酒の起源について述べている本などには
    必ずでる項目ですね。 この酒は八塩折酒(塩折=醢に似た字で”し
    おる”)といわれて、実を沢山集めて作られた果実酒であろうという
    のが、一般的なとらえ方です。しおる=醸(かも)すということで、
    八は何回もと言う意味で、かなりアルコールの度数が高い酒を造った
    という意味にとらえられています。
    またこの地方の素盞鳴命は須佐之男命(京都:八坂神社)とは書きま
    せん盞(さかづき)という字を入れます。面白いでしょう!



  7. Subject:RE>澤の井文章追加と宮水の山邑(武庫郡誌)
    Sender:akta@st.rim.or.jp (秋田 成和) 1996/10/12 19:49:09

    >>今を距る五百八十年の昔、後醍醐天皇の御字、此澤の井の水を汲みて美酒を醸し、之を
     この時代とは、酒造りの中心が伊丹にあった頃でしょうか?
     この出来事を起源として灘五郷の隆盛が始まるのでしょうか...

    >>往時原料米は、玄米を僅に春きたるものを用ひしにて、其得たる清酒は赤色を帯び、粘着力
     古代米の中には赤い米があり、その米を使ったとか? 今でも紫黒米という酒米も作られています

     本当に酒と水には深い関係がありますね。原料として、動力として、交通として...難しい!
  8. Subject:RE>一合升の記念品
    Sender:akita@st.rim.or.jp (AKITA,shigekazu) 1996/10/12 19:49:20

    >>本当に美味しいですね。 酒の弱い私でも飲んでしまいます(笑)
     飲ンべぇの人はどうなるのでしょうか? 首まで浸かってしまうのかも (^^;

     ゴミ...
     とある京都の料理屋で升酒を頼みました... 他の人が飲んでいるを見るとつい
     お酒は美味しかった。 けれど、一緒に出てきた塩がいただけない
     食卓塩なんて、からいだけで味が無いと思うのは私だけではないはず!
     直に口に入る塩なんだから、天然塩とは言わないまでも、もう少しマシなのを。
     その後に続く料理の味があせて感じたのは、気のせいか...
  9. Subject:新興勢力、灘の酒
    Sender:kiraku@warp.or.jp (umino takuji) 1996/10/12 22:39:20


    歴史的には灘酒は、江戸中期からの新興勢力のようです。
    武庫郡誌でも御影の後醍醐天皇(1333ー1339)云々
    の記載は、あくまでも地元での小さな酒造業を意味している
    と記述しています。御影の庄屋十郎記録年号に「宝暦8年(1
    758)より酒造始まる」とありと武庫郡誌には記載されてい
    ます。この時期より江戸積が盛んになったということでしょう
    か。
    魚崎郷でも、元禄11年(1698)江戸積の石高の記載があり
    ます。

    寛永年間(1624〜)に、伊丹の雑候屋文衛門が、西宮へ進出
    して酒造りを始めたのが、灘の始まりという説があります。
    伊丹には天文19年(1550)創業の白雪、元禄年間には、江
    戸積銘酒の東西の大関格の老松、剣菱の酒蔵があったそうです。
    伊丹の白雪の「酒造会館」では、「清酒の醸造は慶長の初期当地
    鴻池で始まった。以来四百年その質と量は卓越し伊丹酒の名は
    天下に宣伝された・・」とあり、文録・慶長(1600前後)に
    山中新左衛門が伊丹の郊外で鴻池村で清酒を発明したという説が
    あります(後に鴻池勝庵と改名、大阪の鴻池の始祖)
    当然、後にこれらの酒蔵元も灘へ進出していったわけです。

    伊丹も灘に含まれるというより、灘を作ったと言うべきなのでしょ
    うか? ただ伊丹は陸荷だったのに対し灘は海上運搬で行われたの
    で、伊丹より灘が多くなった原因のひとつでもあるようです。
    (参照:「武庫郡誌」、「神戸新聞出版センター、灘の酒、中尾進彦著」
     より)

     そうそう、思い出した。神戸市の酒造用用水のタンクと言われている
    のが、住吉川ぞい東側、阪急神戸線の北にあります。 いっぺん見てちょ!
    昭和48年に完成し36醸造に配給されているそうです。 もっとも仕込み
    用には、別の水を使うようです。一日水量1080tもあるそうです(s49)



  10. Subject:摂泉十二郷
    Sender:kiraku@warp.or.jp (umino) 1996/10/13 13:14:05

    さて、先日清酒は伊丹の鴻池が慶長年間に始めた説を書き込みましたが、
    それより先に奈良興福寺の塔頭多聞院で清酒づくりの三段仕込法を創めて
    いました(多聞院日記)という事実があり、慶長四年には十石造りという
    大量生産をして、市販していたという記述があります。鴻池説より遥かに
    古いことになります。

    さて、灘酒の起源の話で、伊丹からのお話を書きましたが、それからの話
    なんですが、江戸中期以前は上方(関西圏)では「摂泉十二郷」とよばれ
    堺・大坂三郷(北組、南組、天満組)・伝法・北在・池田・伊丹・尼崎・今
    津・西宮・上灘・下灘・兵庫となっていまして、それぞれ決められた量で生
    産をしていたそうです。大坂三郷が総代的な立場でした。 宝暦4年(17
    54)酒造制限撤廃令が出て、造石制限がなくなり、株高の限り勝手造りと
    なりました(田沼時代)。 ちょうどその時期は宮水や醸造米の改良なども
    加わり、灘の酒が台頭し、新興酒造業者も参入し、灘を省く摂泉十二郷を上
    回る生産石高になりました。 文政5年(1822年)には江戸積の75%
    は灘酒だったそうです。

           あ、今日は(10/13)芦屋のだんじり祭りだ(笑)



  11. Subject:杜氏
    Sender:kiraku@warp.or.jp (umino takuji) 1996/10/14 22:39:24

    杜氏についての記述が武庫郡誌(大正中頃編纂)にありました・

    (魚崎・岸田忠右衛門)
    氏は弘化・嘉永年間(1844ー1853)好評嘖々たりし「惣
    花」の店主にして、酒質改善に志あり、醸酒に「丹波杜氏」を聘
    (ヘイヨウ)し、「ギリ(西元)」を用ふる等、何れも氏の創始
    する所にして、其功実に沒す可からざるものあれど、記録事跡多
    くは伝わらず。

    というように、灘で丹波杜氏とギリモトをはじめた人とあります。
    丹波杜氏は池田・伊丹で働いていましたが、池田・伊丹がさびれて
    新興の地、灘へ来ました。しかし、その頃灘には播州の杜氏が灘に
    入っていて、丹波杜氏より優れた技法もあって、ひそかにその技法
    を得とくしていったという説もあります。
    丹波、播州(姫路南部網干あたり)、但馬、摂津、淡路の国々から
    灘に杜氏(あるいは蔵人)が働きにきていたそうで、山族の丹波と
    海族の播州(淡路)が融合して、技術が向上したという説があります。
    始めは、決して出身国以外のひととは仕事は一緒にせず、蔵別で仕事
    をしていたそうです。

    さて、私の家系ですが、代々青木の百姓をしていましたが、農閑期に
    は、酒樽を縛る竹や栓を造っていました(私のお爺さんの代(大正初期
    まで)屋号は竹甚(たけじん)です。 竹屋の甚(じん)さんから来て
    います(笑)。 そして、酒の書物をけっこう持っているのもこのせい
    ですが、私の父は芦屋の納税協会関係の仕事を手伝っています、会長は
    嘉納(白鶴)さんです(爆)東灘区は芦屋税務署管内になります。 地域
    割りでは結構昔の縄張りが残っているようです。
    まあ青木の名門となるのですが、家の家系ほど信頼できないものは無いと
    私も認識しております(爆)。 どこの家系でも先祖をたどると有名人
    が出てきますね。 ちょっと話がそれましたね。

    そうそう10/15は、六甲八幡さんのだんじりです。元禄年間では、この六甲
    八幡も灘四組に含まれています。 阪神間の蔵元があったところや、山沿の
    米つきの水車小屋のあった所にはかならずだんじりがあります! 兵庫岬の
    和田宮(昔は8台ぐらいだんじりがありました)も摂泉12郷の中の兵庫な
    んですよ。

  12. Subject:享保年間(1724〜)の灘の酒家の数
    Sender:kiraku@warp.or.jp (海野) 1996/10/22 22:13:27

    ご無沙汰しております。ちょと他のプロバイダーも加入して
    いまして、ごちゃごちゃしております。

    さて「六甲」(竹中靖一著、中央出版、昭和8年)に

    享保九年(1724年)に江戸の問屋が官命を以て調査した
    記録を見るに、灘五郷の酒家は次の如くである。
    西宮八十二人、今津二十九人、御影十人、魚崎四人、脇浜一人、
    兵庫四人、青木一人、鳴尾一人、本庄一人、森四人(おそらく、
    本庄は深江のことか? 元来東灘東部芦屋西部を本庄と呼びます)

    ということで、現在の西宮が主力のようですね。

    まあ、後は繁盛していったことを書いています。あと江戸積の
    菱垣廻船と樽廻船の話がありますので、お楽しみに。

  13. Subject:灘酒で一番ってのは無いけど、売れ筋とツボとして・・(笑)
    Sender:umino@koin.or.jp (海野) 1996/10/23 19:24:32

    灘酒でずばり、どの酒が美味しいかときかれましたが、当然
    個人差もあり、皆さんそれぞれ得意があると思います。

    売れ筋(代表銘柄)といたしましては五酉(ごゆう)会銘柄
    の金杯・沢の鶴・富久娘・忠勇・菊正宗・白鶴・桜正宗・白鹿
    ・日本盛・多聞・大関・白雪のうち、東灘の酒屋さんでは、
    辛口の菊正宗、甘口の白鶴がよく売れていて、全国でも入手で
    きるでしょうとのことでした。 甘口の桜正宗は関西では入手
    しやすいですが、全国レベルでは少し販売網が弱いそうです。

    ツボといたしましては、木村酒造(中郷)の鯉瀧が美味しいそ
    うです。さらに道灌(東郷)の「ひやおろし」、富久錦(西郷)
    純米酒「神代の舞」だそうです
      

  14. Subject:ごめん銘柄まちがえた↑
    Sender:kiraku@warp.or.jp (海野) 1996/10/23 19:34:27


    すみません、「鯉瀧」→「瀧鯉」木村酒造のミスです

    ついでに、写真貼り付けて重くなりました、ごめんね!

                     青木文化センター
                              海野

  15. Subject:花の元禄時代の灘の産地
    Sender:kiraku@warp.or.jp (海野) 1996/11/03 21:07:06

    元禄時代(1688〜)の灘について



    これを見られて不思議に思うのが、西宮が灘五郷にはいっていないでしょう!?
    このころ、西宮は天領でして、灘四組の方は尼崎城主の領地でして、西宮は株組織としては、灘酒に入っていないのです(大坂三郷中心)。 でも地域的には灘に入るという複雑な環境でした。 ますます、発展する新興灘を見過ごすわけにはいかず、江戸積の量を規制しようとしましたが、結局はうまくいかず。 逆に灘酒の地を天領としていったのです。いつの時代もアルコールと政府(税金)は付き物というわけです。

  16. Subject:水の話その2
    Sender:kiraku@warp.or.jp (海野) 1996/11/11 19:36:42


    話はまた、宮水にもどりまして、
    宮水の発見については、色々ありまして、

    山邑太郎衛門
     天保11年(1840年)西宮と魚崎の井戸水の違いを発見した。
    雀部(ささべ)市郎右衛門
     天保8年(1837年)魚崎の雀部が西宮の鱗(うろこ)井戸の
     水を用いて良酒を得た
    雑古屋文右衛門
     西宮で酒をつくり寛永11年(1634年)江戸積をして有名になった

    山邑さんですが、彼は水だけではなく、極精白米の手法もありますから、
    注文も殺到したそうで、いっそ有名になったと思います。 雀部さんは、
    武庫郡史に山邑さんが「魚崎村雀部史郎左衛門の為に酒造の業を管掌し、後
    に魚崎・西宮の酒蔵 を購入し・・」とあり、山邑さんの親方であったよう
    ですね。それと鱗井戸の持ち主ということでしょうか? 雑古屋さんは、そ
    れ以前に西宮で酒を造って出荷をすでにしていたというわけです。
    これは、邪馬台国の場所探しと同じ様で難しいですね。

    室町中期に太政大臣「一条兼良(当時随一の儒家)」が「酒は柳一家、しかの
    みならず、南都の名物、兵庫、西宮の旨酒」と銘酒の名を上げています。
    当時、京都の柳家酒、奈良酒、河内酒、西宮旨酒が「比類なきもの」として
    有名だったそうです。

       参照:武庫郡史、
          東灘歴史散歩道、神戸東灘区役所 田辺眞人
          灘の酒、 のじぎく文庫 中尾進彦
          新阪神史話 阪神サンケイ新聞社 東 薫

    ところで、最近は宮水と固執せず、六甲の自然水とかいって、お酒を造っている
    会社が増えてきましたね。西宮の宮水も夙川の伏流水で言ってみれば、六甲の水
    でして、それと西宮の貝殻層とが作用するとかしないとかこの辺では言っていま
    すが、こんこんと流れる伏流水と以前海岸部だった東灘南部ならなら同じような
    気もしますが、素人目には・・・・(笑)
    ところで、前は阪神沿線南の井戸の塩害を書きましたが、阪神高速の橋脚の強化
    によって、場所によっては、43号線南では、伏流水路がとざされ、井戸水がよ
    どむ現象もあります。さらに上部の震災復興のビルの高層化によっても水質が変
    った井戸も出てきています。 やっぱ六甲山から直に取る水がいいのかな?

    まあ、とにかく特に震災復興で大変だった東灘・灘区の酒蔵の復興を祈るのみです
    どっかみたいに、元化学繊維会社に買収されてしまうのかな(笑)

  17. Subject:明治における東郷の縮小
    Sender:kiraku@warp.or.jp (海野) 1996/11/22 23:44:57


    以前、秋田様にメールでお送りした内容です。
    内容が以前と重なる部分はご容赦くださいね。

    「青木、深江についてのかつての酒造業」

    「青木・深江(旧本庄村)の酒造業」
    酒造の起源は、およそ二百七十年前、享保年間に青木の山形中左衛門と言う人が
    酒造を始めたと言われています。天明6年(1786年)深江においても永田惣兵
    衛という人が酒造を始めました。当初は20石(一升瓶2000本)の醸造に過ぎ
    なかったけれど、四代目のころには2000石を醸造するようになりました。
    青木、深江の醸造業は、次第に発達していき、嘉永、安政(江戸時代)のころには
    青木で総醸造高1万5000石(一升瓶150万本)にもなり、そのための用水は、
    全部村内の井戸水を使用していました。この時代になって醸造用水として、西宮の
    宮水が醸造用水として良好であるという事で、次第にこの水を使用するようになっ
    たそうです。
     明治の初年頃には、両村では大部分が足踏みによる精米のため、出来上がりが悪
    く(住吉川や石屋川のある魚崎以西は水車を利用)、醸造発酵がうまくいかず、そ
    のために清酒の出来が良くなかったので、江戸において名声が次第に悪化し、売れ
    行きが減少し、仕方なく地方販売に主力を入れたのですが、時期が悪く酒醸税の増
    加、価格の下落などの悪条件が重なり、ますます醸造家は窮地に立たされ、一時凌
    ぎの目的で防腐剤、唐辛子など混入し、水を増加し石数を増やすなどして、色々と
    試みたのですが、明治34年頃には青木の醸造家は全部廃業しました。
    現在、青木・深江には宝酒造、大田酒造(道灌正宗)の酒造会社がありますが、明
    治頃から醸造を続けている所はありません。

    「焼酎」
    昔、青木、深江は焼酎の醸造地としても、地方にその名を知られ、全盛期には醸造家
    は約40を数え、醸造高も2500石にも達し、灘五郷の酒粕全部をその原料として
    消費したほどだったそうでうす。しかし酒造税の改正によって、利益にならず、次第
    に廃業社が続出しました。(青木や深江の醸造の焼酎は、主に大阪天満及び伝法等の
    ミリン等の原料としていたので、原料と製品との2重課税されたのが原因)
    その後、大正7年に朝日酒類株式会社が設立され、焼酎、味醂、洋酒等の製造を開始
    するようになりました。(現在その場所は、宝酒造青木工場となっています)
    そう、アサヒのスーパードライです! これで清酒が売れなくなったかな(笑)

    「灘の生一本を有名にした人物、六代目、山邑太左衛門どこから来たの?」

    山邑家はもともと池田で創業し、のちに大阪に進出した酒造家で、天保期に西宮に酒蔵
    を始め、その後魚崎の佐松屋、丸屋の酒蔵株を入手し魚崎に進出してきました。
    山邑家住宅は江戸末期の民家で県の重要文化財にしていされていましたが、震災後どう
    なったかちょっとわかりません、1K程の所にあるのですが・・

    酒や水を樽に入れて船ではこんだのですが、船で樽を運搬する人を「沖仲仕(おきなか
    し)」と呼び、陸で樽を運搬する人を「仲仕」と呼びます。 なんでこのような話をし
    しましたかといいますと、彼らは大変な力持ちで、そのむかしだんじりを操作するのに
    絶大な威力を発揮%
  18. Subject:灘ブランドを求めて
    Sender:kiraku@warp.or.jp (海野) 1996/11/22 23:49:20

    これも以前メールしたものです。

    (移動する日本酒の巨大産地)
    良い水と米を求め、日本酒の産地は大和、奈良、京都(伏見)、
    摂津富田、池田、伊丹、灘と代わってきています。
    ということで、灘は江戸時代(18世紀前後)からの新興産地
    です。しかしながら、蔵元が移動してきていますので、酒造技
    術は、その昔からつちかわれたものです。

    「全国から灘で蔵を持つ」
    (西宮郷)
    銘柄   発祥地(灘進出時)
    甲陽鶴:兵庫県加東郡河合村(戦後)
    富貴 :明治17年北海道旭川(戦後)
    文楽 :明治33年埼玉県上尾市(昭和41年)
    世界統一:明治17年紀州(昭和41年)
    白魂 :大正5年伊予松山(39年)伊予酒造
    (魚崎)
    金露 :文化3年(1806)大阪堺(日露戦争後)
    都菊 :安政年間長崎(明治初年堺→灘)肥塚酒造
    桜正宗:享保2年大阪池田(天保期)山邑酒造
    酒豪 :明治時代酒販売店(昭和7年)豊沢酒造
    (御影郷)
    国冠 :天保年間埼玉県入間郡(大正5年)久星酒造
    千歳鶴・灘松竹:北海道(?)日本清酒
    剣菱 :500年前伊丹(昭和4年)
    泉正宗:文化7年兵庫県有馬(弘化年間)
    天長 :昭和30年和歌山より、島村酒造
    沢の井:島根県数社が共同進出
    (西郷)
    月桂冠:寛永2年伏見(昭和41年)
    菊川 :元禄年間岐阜市(昭和33年)

    (完全に移動した蔵もありますが、月桂冠の様に一部
     生産という所もあります。記述もれなどはご容赦)

    最近、酒造会社も六甲山系付近の他の場所に蔵を作っている
    会社もあります。しかし灘のブランドも捨て難いという
    ところでしょうか、清酒も転機がきているようで、各社
    生き残りをかけて厳しい状況にあるようですね。

  19. Subject:戦争とお酒
    Sender:kiraku@warp.or.jp (海野) 1996/12/11 12:06:14

    (戦争とお酒について)

    昔からいくさの時に志気ををあげるのに有効なものとして酒ほど有
    効なものはありませんでした。

    さて、いつの時代でもどこの国でも酒税ほど有効な手段はないわけ
    で、たとえば明治時代の日清・日露戦争の頃の軍事費の相当額が酒
    税です(これは明治までの話)。当然国は酒造業界を管理・指導し
    てきたわけです。

    ところで第二次世界大戦の時、食べる米すらないのに、とても酒に
    米をまわすゆとりもないのですが、志気を上げるには酒も重要な役
    割をはたしていますね。 そこで大正時代にできた合成酒の手法を
    清酒に用いて増量化をはかりました→アルコール添加酒。

    アルコール添加酒ならまだ米が使われているのですが、合成酒が年
    々増え続け、第二次世界大戦後までつづきました。食糧難ですので
    政府指導のもと合成酒の増量をますますしていきました。灘・伏見
    などの巨大産地にとって、本意でない酒の生産をしていたわけです。
    でも、こんな品不足の時代ですから、たとえ合成酒でも庶民はあ喜
    んで飲んでいたのです。 これに三倍増醸酒(三倍酒)というのが
    出始めました。戦中戦後に水でわった薄い酒がいっぱい出始め、「
    金魚酒」(金魚を泳がしても死なない)というとんでもない酒や、
    どぶろく、バクダンといったわけのわからないブローカーが三倍酒
    などをさらに加工して売ったのです。

    戦後、酒造メーカーもこの合成酒の技術がこのせいで発展し、アルコ
    ール添加に関しては、かなりのノウハウを取得しました。しばらくし
    てアルコール添加量をへらしたり、超特級などという高級酒を作りは
    じめました(戦後復興のはじまり)。それでも戦後しばらくしてから
    は、もっとも売れたのが一級酒、二級酒といったものが断然売れいま
    した。 アルコールは添加されていますが、口当たりがよく、さらっ
    とした酒を、価格と相談の上飲んでいたそうです。

    というわけで、現在の灘の酒が続いてきているのです。 私もそうで
    すがビールを飲む機会はいくらでもありますが、酒を飲み交わすとい
    った機会がないのも事実で、大学の宿舎やクラブでのイッキ飲みを強
    要され、悪いイメージが多いのも悲しいことですね。 地酒ブームが
    できて、カンフル剤になると思っていましたが、酒造メーカーにはそ
    んなにプラスにならなかったようですね。

  20. Subject:今、社会では、、、、、
    Sender:takata@mxw.meshnet.or.jp (高田みなみ) 1997/11/02 22:30:14

    今学校で、神戸ブランドを調べていて、お酒を担当しているので、わからなくなったらメールを送るので、資料があったらおくって下さい。
  21. Subject:え?剣菱って?
    Sender:o-jin@kh.rim.or.jp ((川崎龍介)) 1998/01/07 01:25:13

     広辞苑によれば「伊丹産の上酒」と書かれているのですが、もともと剣菱って伊丹の酒だったんですか?
  22. Subject:RE:伊丹の剣菱
    Sender:kiraku@warp.or.jp (海野(うみの)) 1998/01/15 23:13:24

    すみません、ごぶさたしていました。これから灘の酒につい
    てホローさせて頂きます。東灘区役所にも神戸酒蔵のまち
    ガイドブックなどがありますので、お問い合わせ下さい。最
    近各酒造会社が資料館など震災後作りまして、復興の兆しが
    あります。なんで”神戸酒造”なんでしょう、”灘酒造のまち”
    なのに・・、神戸はコウべでハイカラ売りなんで(笑)、いま
    さら神戸といわれても違和感があります。グローバルな見地で
    西宮(今津)から東灘区・灘区と大きく灘酒を見ましょう。
    当然影響をもたらした伊丹も入れましょう。ぐちはともかく(爆笑)



    これは元禄年間(1690年頃)の「江戸積銘酒名寄番付」です。
    文録・慶長ころから伊丹が盛んになり、享保では最盛期に
    なります。見にくいと思いますが、番付上位は伊丹・池田
    かろうじて西宮、下位はすべて灘です。剣菱も大関ですね。
    老松は「御免酒」と呼ばれ幕府の「官用酒」で一般の酒屋
    と区別され名字帯刀を許された酒屋でした(他に24軒)
    特にこの銘柄は「宮中奉納酒」、「将軍御膳酒」として、
    格式高いものでした。

    そうそう正宗という刀の名前が始めて許されたのが、桜正宗
    (魚崎郷)です。音読みすると「せいしゅう」(清酒)とな
    り、銘刀の切れ味という意味でしょうね。灘五郷の発展は前
    にすこしお話しましたね。 樽廻船・菱廻船もいずれお話し
    ます^^;

  23. Subject:「富貴」についての質問
    Sender:kouming@aqu.bekkoame.or.jp (紅野秀樹) 1998/03/01 23:34:13

    はじめまして。灘五郷の会議室ということで訪問させて頂きました。私、紅野と申しますが、我が家は戦前まで「富貴」の醸造元であったと
    父から聞かされていたのですが、父は私が中学のころ他界してしまい、また昔の資料も西宮の空襲で家(西宮戎の門前にあったらしい)が
    焼けてしまったらしく、何一つ残ってないのです。そこでみなさんにお願いなんですが、紅野の酒造業の歴史、生い立ちなどを
    ご存じの方がおられたらぜひお教え頂きたいと思います。現在の「富貴」ブランドを持っておられる合同酒精さんの社史を拝見しますと
    紅野平左衛門商店と称していたみたいなんですがそれ以上はわかりません。また「富貴」の名は明治期、我が家の当主と
    仲が良かったという伊藤博文の命名であるというあやしい話もあるみたいです。なにとぞよろしくお願いします。



  24. Subject:
    Sender:kiraku@warp.or.jp (うみの) 1998/03/04 22:08:07

    始めまして! 紅野様
    武庫郡誌の西宮酒造業の中に下記の記載がございます

    大正8年
        査定石数  蔵数   営業人
    白 鹿  31,539   29   辰馬吉左衛門
    日本盛  20,811   19   西宮酒造(株)

    富 貴  3,580   3   紅野平左衛門
    いろ娘  3,984   3   紅野善三郎
    白 雪  4,329   4   小西新右衛門

    となっていまして、紅野一門で約7,000石となり
    白鷹(辰馬悦蔵)と同規模となり中堅の酒蔵と
    いうことでしょうか? 北海道旭川から灘ブランド
    を求めてきた合同酒清(明治創業)がどういう関係か
    解りませんが、大正13年に基礎が出来たと記していま
    す。合同酒清さん自身が富貴ブランドを出荷したのは
    ご指摘のように戦後です。なにかのかたちで引き継い
    だのでしょうね。茨城県牛久(うしく)の牛久シャト
    ーというワインは通には結構有名らしいです。

    明治20年代は、灘五郷の衰退期(青木・深江没落)が
    あり西宮も2〜30名の数になったそうで、大正までい
    き残れた蔵は、それなりの生産能力があった証拠で、創
    業は江戸末にまでいくでしょうね。
    初代兵庫県知事が伊藤博文だから、あながち噂でないかも
    しれませんね。有名な武将や軍人に銘をもらうことはよく
    あることですから、戦災がなかったら博文の一筆があった
    かもしれませんね!

    また何か書物が出てきましたらお知らせしますね!

  25. Subject:「富貴」の情報ありがとうございます
    Sender:kouming@aqu.bekkoame.or.jp (紅野秀樹) 1998/03/05 01:04:36

    海野様、早速のRES誠にありがとうございます。
    明治期には辰馬悦蔵商店さんと肩を並べていたなんて
    本当に驚きです。あれから、唯一当時のことを知る叔母に
    昔のことを聞き、また私自身も西宮図書館に赴き
    文献を調べましたところ「西宮市史」などから
    ポロポロと当家の事項が出てきました。
    たとえば
    1、明治期には当家が兵庫県札(たぶんお金でしょう)の引換所になっていた。
    2、  〃    辰馬さんなどと共同で「恵比須銀行」なるものを経営していた。
    3、紅野善三郎家は当家からののれん分けで我が店(えべっさんの門前)の向かいに店を構えていた。
    4、  〃       2,3の有力な酒造家とともに西宮酒造(日本盛)の創業に携わった。
    5、初代西宮市長の紅野太郎氏は当家に養子にこられたらしい。
    などです。
    上記を見ますに、当時は灘の酒造家は今で云う多角経営を行い、また政界とのつながり(癒着?)が
    かなりあったのですね。
    あと個人的な話になりますが、今も辰馬さん(南辰馬)とはおつきあいがあります。
    この南辰馬さんは、ご先祖が革新的な酒造家として有名な辰馬喜十郎さんです
    (あの白鹿記念館の横の洋館はこの方が建てられ、白鹿に「喜十郎」ブランドの酒もある)。
    かくいう私自身、最近は灘の酒とはすっかりごぶさたしており、やれ新潟や、やれ福井の酒や、などと
    地酒ブームに酔ってしまっていますので、これからは灘の酒をもっと楽しみたいと思っております。
    そうでないと先祖のバチが当たりそうですんで(^^;
    ではまた色々な話を聞かせて下さいね。
    私も親戚からもっと当時の様子を聞き込んでUP致します。



  26. Subject:紅野一門
    Sender:kiraku@warp.or.jp (うみの) 1998/03/05 11:22:31

    紅野太郎氏ですが、戸長制から引き継い
    前町長が退任し、大正8年西宮町長になり
    まして、武庫郡誌には、
    「町勢発展に伴ひ内容の充実整頓を計り、
     教育、土木に計画実施する・・」
    とあり、当時の西宮の酒造家は、富の地域還
    元をきっちりしています。税もかかわること
    ですので、町政に関してもほおっておけなか
    ったのでしょうね。 学校、美術館、船舶な
    ど、だんな衆はがんばっていたようです。
    だいたい、本家筋からは政治にかかわらず、
    兄弟・分家から出すようですね。
    そうそう今津郷(今津村)にも小さいながら
    紅野太郎氏が「ひめ盛」を出しています。

    白鹿(辰馬本家)が創業寛文2年(1662)でした
    ので、当時その一門から町長を出さなかったの
    は不思議ですね(戦後、市長が出ましたね)。
    紅野一門が一目おかれる存在だったのでしょうか
    (創業が古い?) 宮前ですので、西宮神社と関
    わりが深かったのかな(吉井権宮司に聞いてみま
    す) きっと名門(老舗)だったのでしょうね!

    昭和20年の空襲は酷く、白鹿でも53の蔵が18
    になったそうです。


  27. Subject:地域還元
    Sender:kouming@aqu.bekkoame.or.jp (紅野秀樹) 1998/03/05 22:02:50

    健全な市政、文化事業参加と云うことでほっとしました(^^;。
    そういえば甲陽学院や辰馬美術館など文化水準の高い施設の
    経営はその最たるものですね。
    それと空襲の話ですが、以前父から聞いた体験談では、
    その日、空襲警報が発令されるやいなや、焼夷弾が無数に降ってきて
    えべっさんの門前町は火の海に・・・
    家族は一緒に逃げるも途中で二手にはぐれてしまい
    父はえべっさんの境内に逃げて助かったとのことです。
    えべっさんの松の木からは炎が上がっていたらしいです。

    辰馬さんの蔵は浜方の一部は焼け残ったようですね。
    しかし西宮郷の中でも良い景観を醸し出していた
    これらの酒蔵も震災で壊滅してしまいとても残念に思います。
    このほか魚崎の桜正宗さんの裏手のあたりもとても雰囲気が
    よかったのに、この間久しぶりに訪れたらここも酒蔵が悉く無くなっていて
    とてもさみしい思いをしました。

    PS:上記と関係ない話ですが私の父の名も紅野平左衛門でした。
       代々襲名であったみたいです。
       私が小学生の時、クラスでそれぞれお父さんの名前を聞かれ
       恥ずかしかった思い出があります。
       
  28. Subject:山邑酒造について
    Sender:mamoru.inoue@tri.tokai.co.jp (井上 衛) 1998/04/15 18:49:49

    はじめまして。会社からアクセスしてます(汗)

    この会議室はなかなかスゴイですね。皆さんの知識には驚きました。

    私、戦前の建築が好きで、阪神間の歴史を調べております。
    近年急に有名になった芦屋の「ライト邸」こと山邑邸について調べているんですが、「山邑酒造」は戦後どのような経緯を辿ったのでしょうか?
    現在の灘五郷には「山邑酒造」の名は有りませんよね。

    ご存知の方教えてください。

    P.S.山邑太左衛門翁のエピソードなど、ずいぶん勉強になりました。
  29. Subject:山邑酒造
    Sender:kiraku@warp.or.jp (海野) 1998/04/22 07:28:28

    「桜正宗」のブランドで発売していますよ!
     販売網そんなに強くないので見る機会が少ないのかな?
     東灘区内の酒屋さんでは入手できます。

     名前で始めて「正宗」(銘刀)の名前を許された由緒ある
     ブランドです。阪神魚崎駅南(43号線南)住吉川東あたり
     が山邑酒造さんの土地でして、ゴルフの打ちっぱなしや(直営)、
     ホームセンターコーナン(日用品のディスカウントショップ:賃貸)
     もそうです。

     灘の酒は、大勢の人々に季節に関らず均一の品質で供給する宿命を
     もっていまして、あまり特殊なお酒は出していません。 復活のた
     め魚崎郷で試行錯誤されている会社もありすが・・・



  30. Subject:RE:灘五郷酒造組合
    Sender:kiraku@warp.or.jp (海野) 1998/04/22 11:53:32

    まだまだ、桜正宗(山邑酒造)は健在です!!

    灘五郷組合のパンフにあった地図を、ご紹介します。
    (無断転載すみません_(._.)_)
    直接貼り付けるとこのボードが重くなりますので
    リンクで見てもらいます(プロバイダーばメンテ中はみれませんが:笑)。

    灘五郷イラストマップ(170K/JPG)


  31. Subject:re:灘酒造組合マップ
    Sender:kiraku@warp.or.jp (海野) 1998/04/22 12:02:05

    さて、お酒には関係ないですが、
    昭和初期までは豪華な建築物が残っていまして、阪神大水害、戦災、地震
    で建築物が多くなくなりました。かつてのの東灘(特に住吉周辺)には、

    二楽荘  岡本の高台に大谷光瑞師の別荘が建設され、ケーブルカーも
         ありました。昭和7年焼失

    ヘルマン邸 現在の西岡本7丁目の丘陵上にシーメンス事件で有名なヘル
          マンが住んでいました。空襲で被爆しました、現在はヘル
          マンハイツという住宅地になりました。

    久原邸   炭坑王・久原房之助が建てたもので、住吉川東岸のJRから
          山手幹線までありました(現在の旧神戸商業、川崎重工社宅)

    岩井邸   豪商岩井勝次郎が白亜の五層楼で、空襲で被弾。弓弦羽神社
          (阪神御影北)の南にありました。

    村山邸   朝日新聞創始者・山村隆平は、弓弦羽神社の東側に在り、香雪
          美術館があります。
    住友邸   JR住吉北の一画が住友吉佐衛門邸で、現在は住友の社宅など
          になっています。

    あと、野村邸、才賀邸(後に芦屋に転居、芦屋公会堂となり文化ホールに
    なりました)
  32. Subject:お酒とクラシック音楽とが大好き
    Sender:fks516@f-open.or.jp (shouiti saitou) 1998/09/01 20:16:32

    灘の美味しいお酒を御紹介下さい 


  33. Subject:櫻宴
    Sender:kiraku@warp.or.jp (うみの) 1998/11/01 07:25:50

    山邑酒造(桜正宗)さんが、資料館とカニの料理(2F)、喫茶、
    などの複合建物、「櫻宴」をこの10/28からオープンし
    ました。原酒を飲みながらカニを食べるとおいしいのでしょうか。
    場所は阪神魚崎駅南下車、43号線を越えたところにあります。
    日曜雑貨の巨大店舗、ホームセンター・コーナンの北側です。

  34. Subject:国冠酒造が
    Sender:MXK03637@nifty.ne.jp (おろー) 1999/01/15 12:12:34

    つぶれたという話を聞きましたが、詳しいことをご存じの方いらっしゃいませんでしょうか?
  35. Subject:
    Sender:aoki001@olive.oce.ne.jp (青木山) 1999/03/06 18:50:31


  36. Subject:
    Sender:aoki001@olive.ocn.ne.jp (青木山 徹) 1999/03/23 22:47:58


  37. Subject:国冠に付いて一言
    Sender:aoki001@olive.ocn.ne.jp (青木山 徹) 1999/03/23 23:12:37

    はじめまして、私、青木山と申します。
    茨城で酒の卸問屋に勤めています。
    茨城では、国冠は多く、酒屋の棚に並んでいましたが、1月くらいからだんだん少なくなりました。
    沢の鶴が、変わりにつめるとゆう話を聞きました。
    国冠と沢の鶴は何か関係があるのでしょうか?



  38. Subject:test
    Sender:akita@st.rim.or.jp (AKITA) 2000/02/28 18:40:28

    書き込みのテストです
  39. Subject:「江戸積銘酒名寄番付」について
    Sender:hab02600@syd.odn.ne.jp (Keiwa Yoshida) 2002/03/02 21:20:53

    海野拓司様
    No.22 に「江戸積銘酒名寄番付」を掲載されていますが、この資料は何処に行けば見ることが出来るのでしょうか?櫻正宗資料館に「流行酒銘録」なるものがあり特にお願いしてコピーをしてもらいました。と云いますのは私の先祖が江戸時代頃より住吉村呉田(御田)において酒造業と回船業を手広く行い、酒を江戸に送り込んでいたと住吉村誌等に記録があります。しかし我が家には戦後の混乱で資料が残っていません。酒造業をいつまでやっていたのかも不明です。
    先祖の名前は「吉田喜平次」隠居して「吉田道可」と名乗りました。何かご存じの事がありましたら教えて下さい。吉田敬和
  40. Subject:住吉・吉田家
    Sender:kiraku@warp.or.jp (うみの) 2002/04/23 23:51:09

    財閥が住む前に、明治初年まで呉田区・吉田区・西区の
    吉田御三家が庄屋・年寄・百姓代を順次やっておりまして、
    住吉村の運営にかかわっておられたお家です(メールにて
    連絡中です)。特に呉田の本家は、住吉村の産物を全て
    倉に集約して出荷しておられたようです。

登 録
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